統一教会の信者に対する、拉致監禁・強制改宗について、その根絶を求めます。被害者の声。陳述書 牧師が人の親を「馬鹿」呼ばわり O・K(男)
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被害者の声


陳述書

O・K(男性) - 牧師が人の親を「馬鹿」呼ばわり -


陳述書

横浜地方裁判所第8民事部合議係 御中
平成15年3月21日

1.略歴~統一教会への入会

一.はじめに

 私は、世界キリスト教統一神霊教会(以下、「統一教会」と言う)の信者ですが、私の両親は、今利理絵さんの両親と同じように、私の信仰に反対し、私を統一教会から脱会させるために親族等と共謀して、私を3回にわたって拉致監禁し、脱会説得を試みました。第2回目の監禁のときには、今利理絵さんがかつて監禁されたことのある西藤マンションに連れて行かれました。
 また、2回目と3回目の監禁時には、私の両親は、今利理絵さんの両親と同じように日本基督教団太田八幡教会の清水与志雄牧師の指導を受けていましたし、第3回目の監禁時には、清水与志雄牧師が私を監禁していたマンションまで来て、脱会強要を行いました。以下、こうした経緯について述べたいと思います。

二.略歴

  「私は昭和45年6月3日、埼玉県吹上(フキアゲ)市で生まれました。父はM.O、母は同Fです。妹に2才年下の同Eがいます。なお、母方の祖父は寺の住職で、母の2人の兄も住職をしています。
 私は平成元年(1989年)に法政大学法学部に入学し、1年生の時に原理研究会に入会し、同じ年、統一教会に入会しました。
 私は母が寺の出身で自分も得度を受けていたため、以前から哲学や心理学など、内面的なものに関心がありました。そして、小児喘息で長年苦しんできたため、この苦しみを越えてでも生きるべき人生の目的や、価値があるのかどうか、それだけの意味がこの世にないなら死んだ方が苦しみがなくなる分いいのではないか、などと考えていました。また多くの宗教では結婚に対して否定的な解釈しかしていないので、本当に結婚するべきなのか、する必要がないのか、など色々な本など読みながら考えてきました。ところが、統一原理を学べば学ぶほど、今まで悩んできた問題がことごとく解決されていきました。こうしたことから私は統一原理に強くひかれ、これを真理と確信し、短期間の内に統一教会に入会するに至りました。
 平成5年(1993年)、法政大学を卒業し、1年間、語学の勉強などの準備をしたあと、平成6年(1994年)に、統一教会の創始者である文鮮明師が創設したニューヨーク州公認の神学大学院である統一神学校(Unification Theological Seminary・以下、「UTS」と言う)に入学し、宗教教育学部にてキリスト教を主とする宗教全般、教育、哲学、心理学などを学びました。
 平成7年(1995年)8月、私は韓国ソウルにて開催された36万双の国際合同祝福結婚式に参加し、このとき、文鮮明師より永遠の伴侶として韓国人のKJSを紹介していただきました。
 平成10年(1998年)6月、UTSを卒業し、平成11年(1999年)11月に妻と入籍し、平成13年(2001年)6月より埼玉県和光市にて家庭生活を開始しました。現在は、個人事業を経て法人化した、アパレル商品の販売、ホームページの運営管理を行う会社を経営しています。

2.1回目、2回目の監禁

三.第1回目の監禁

私は大学在学中に、両親に対して、統一教会の信仰をもったことを話しました。このときは、母が寺の出身で宗教に違和感を感じなかったためか、両親から信仰に対して反対を受けることはありませんでした。ところが、1992年に統一教会の3万双の国際合同祝福結婚式が行われた頃から統一教会に否定的なマスコミ報道がなされるようになり、両親は私の信仰に対して反対するようになりました。そして、私が36万双の国際合同祝福結婚式で韓国人と結ばれたことから、両親の反対が激しくなりました。
 1995年頃、UTSの休みの期間中、帰国して実家からアルバイトをしていたときに、両親から統一教会のことでゆっくりと話し合おうと言われ、実家から10kmくらい離れた吹上市のアパートの1階に連れて行かれました。私は、両親と話し合うのであれば問題はないと思いましたが、数時間話しても進展がなく、そのうち両親が、「この部屋からは出さない」と言い始めました。このため私は「このままでは監禁されてしまう」と思って怖くなり、この日のうちにその部屋から飛び出してきました。このときは、部屋の玄関ドアに鍵などがかかっていなかったため、両親は多少抵抗していましたが、力ずくで出てくることができました。 

四.第2回目の監禁

 1996年秋、私はUTSを休学し、学費を作るため埼玉県行田市の実家から群馬県太田市にある三菱の工場の夜勤のアルバイトに通いました。
 同年12月17日頃の夜、夕食後アルバイトへ行こうとして家の外に出たとたん、父親及び父方の親戚など3、4名に力ずくで捕らえられました。母及び女性の親戚達は近くで私が逃げないように見張っていました。私は力一杯抵抗しましたが、男3、4人に取り押さえられたので逃げることができず、家の前に停めてあった8人乗りくらいのバンに押し込められました。私は声を上げようとしましたが、すぐに口を押さえられ、助けを求めることができませんでした。
 車は約40分程走行し、私は群馬県太田市の西藤マンションに連れて行かれ6階くらいにある部屋に連れて行かれました。部屋に入る前にも抵抗しましたが、どうにもできず、無理矢理その部屋に入れられました。この部屋は1DKくらいの間取りで監禁用に改造してあり、すべての窓ガラスには2重に鍵が掛けられ、開かないようになっていました。玄関とメインの部屋までの間には短い廊下がありましたが、ここにドアが後付で取り付けられており、そこにも鍵が掛けられ、開かないように施錠されていました。
 私が部屋に監禁されてから数時間すると、親戚は順次帰り、結局この日は両親と妹と親戚の1人が残りました。私は普段夜勤のアルバイトをしていたため、夜になっても寝ることができませんでした。皆が寝入った後、私は親戚が持っていた携帯電話を持って風呂場に行き、張替君という教会員に連絡を取りました。そして、その部屋から見える建物等を説明しました。通話が終った直後、父親が感づいて起きてきたので、風呂場から電話をしていたのがばれてしまいました。
 翌日から私は、監禁から解放して欲しいと何度も両親に訴えましたが、聞き入れて貰えませんでした。父親は、清水与志雄牧師の指示を仰ぐため外出して同牧師と連絡をとっていました。こうして1週間くらい押し問答が続いた末、やっと解放されました。このときのことについて、3度目の監禁の時に清水与志雄牧師は、「前の監禁の時にあなたが外部と連絡をとったことを知り、話しにはいかなかった」と言っていました。
 第2回目の監禁から解放されて以降、私は両親に統一教会の教えを伝えたり、教会の礼拝に来てもらったこともありました。
 平成9年(1997年)の3月から6月まで、私は渡米し、UTSの春の授業に参加しました。R・Iさんから聞いた話しでは、私の両親は、同年6月5日木曜日午後7時30分から日本基督教団太田八幡教会で行われた清水与志雄牧師の「統一教会・統一原理の間違い」について学ぶ勉強会に最初から最後まで参加していたとのことで、休憩時間にバナナやお茶やコーヒーの準備をしていたとのことでした。また、R・Iさんの話では、清水与志雄牧師は、私の両親が私の紹介で統一教会の礼拝に行ったことに関して、「監禁中に息子の言いなりになって統一教会について行きやがったんだ。
 まったく何考えてんだか、とんでもない親だ」「なんて馬鹿な親なんだ」と話していたということです。この話を聞いて私は、やはり清水与志雄牧師は家族間の話し合いを全く考えていなかったのだと改めて思いました。人の親を「馬鹿」呼ばわりする牧師がいるとは信じられないことです。

3.第3回目の監禁

五.第3回目の監禁

 平成9年(1997年)6月、私はUTSが夏休みになったために帰国しました。帰国後1ヶ月くらい経った1997年7月24日、私は両親及び長崎出身の山下という見知らぬ男性から力ずくでバンに乗せられ、群馬県太田市にある東山マンション601号室に入れられました。ここは第2回目の監禁に使われた西藤マンションから車で数分の場所でした。翌日Y氏から聞いたところでは、Y氏は最近まで、同人の妻の妹で、統一教会の3万双の国際合同結婚式に参加した34才の女性をその部屋に4ヶ月間監禁し、統一教会から脱会させたとのことでした。
 東山マンション601号室は2DKくらいの間取りで、監禁用に改造されており、第2回目の監禁に使われた西藤マンションの一室よりもさらに厳重になっていました。ベランダに出る窓は一面にアクリル板が取り付けられており、窓ガラスに直に触れることができなくなっていました。台所や各部屋にある他の小さな窓は、窓が開かないように錠前で施錠されていました。
 部屋と玄関の間には扉があり、元々ついていたドアノブの上に1つ、下に1つ錠前が付けられており、これらを解錠するための鍵は父が常にウェストバッグの中に入れて保管していました。監禁に入ると両親は用のない限り外出しませんでした。長期の監禁に耐えれるよう必要なものが全て準備されており、冷蔵庫の中には冷凍食品などがぎっしり詰まっていました。そして、必要なものがあるときには、妹がたまに買出しに行っていました。
 私をここに閉じこめて、牧師との面談を強要することがこの監禁の目的だということは分かっていましたが、ここまで厳重に監禁されたのではとても自力で脱出することはできず、何ヶ月も監禁されることになることは明らかでした。そこで私は、両親に対して「早く牧師と話しがしたい」と伝えました。そうすると、待ってましたとばかりに、監禁された翌日の7月25日、日本基督教団太田八幡教会の清水与志雄牧師が来ました。
 拉致監禁を指導する牧師は、「私は話し合いを願わない者のところに行って話したことはない、信者が望んだから話し合いに行ったんだ」と言いますが、実際には、牧師との面談に応じない限り監禁からは解放されないので、これは面談の強要に他なりません。私はこの当時は信仰を持って7年くらいのときでしたが、統一教会の教えを学べば学ぶほど、入会以前に悩んできた問題がことごとく解決され、また、教えを学び初めて以降に疑問に思った問題点に対しても、ことごとく解答が与えられてきたときでした。
 またUTSの宗教教育学部で神学を勉強していたので、多少自信はありましたが、同時に、多くの教会員達がこの監禁によって信仰を失っていったことを知っていたため、牧師の話すいい加減な話に騙されないように気をつけなければならないという緊張感がありました。また母親は監禁中、「ここから出ていくんだったら、私を殺してから出ていきなさい」と言っており、実際このような状況下から過去に死傷事故が生まれたことを知っていたので、自分がその中の1人になってもおかしくないという恐怖心が常にありました。

4.清水与志雄という牧師

六.清水牧師による脱会強要

 7月25日に清水与志雄牧師が601号室に来たとき、最初に監禁に関して、「信教の自由や憲法には関係なく『私の神様』の正義であり、このような監禁は問題がない。統一教会の人達は絶対に私の言うことを聞かなければならない」と言いました。そして、「私の言うことを聞かない限り、そして統一教会を辞めない限り、ここから一歩も外に出さない」と言いました。
 またこの日清水与志雄牧師は「嘘つきはだめである。あなたがたは嘘をついている」と主張し、「この世の最も重大な犯罪は嘘をつくことである」と主張しました。また清水与志雄牧師は、前回の監禁の時に「私はあなたが外部と連絡をとったことを知り、話しには行かなかった。私は監禁している状態でなければ話はしない。なぜなら逃げ出すからだ」とはっきり言いました。この言葉から、やはり両親は前回の監禁前から牧師と連絡を取り合っていたのだということがはっきりと分かりました。
 逃げようが逃げまいが、私の自由のはずです。何故清水与志雄牧師の話を聞かなければならない義務があるのでしょうか?統一教会は強制的に考えを人々におしつけたことなどないのに、清水与志雄牧師は実に驚くほど傲慢な牧師だと思いました。また清水与志雄牧師は「私の正義は絶対に聞かなければならない」とも言いました。法律に基ずかない限り他人を拘束する権利などないはずですが、清水与志雄牧師は独りよがりの正義を振りかざして監禁を正当化していました。
 7月26日、清水与志雄牧師が再度601号室に来ました。清水与志雄牧師は、「地上天国を造るのは難しい」と言って、統一教会創始者である文鮮明師が提唱する統一運動を批判しました。また清水与志雄牧師は、いわゆる『霊感商法』について、統一教会の教理から出てくるものであり、決して問題は無くならないと言っていました。
 ところが、同じ教理を共有している他の国々では『霊感商法』と言われるような問題が起きていないことだけからも、彼の考えには無理があると思いました。しかし清水与志雄牧師は、どこまでもこの考えに執着していた。また、私は壷や印鑑などを売ったことも買ったこともありませんが、信徒各個人の経済活動は自由なはずですし、買主が壺や多宝塔の価値を十分納得した上で合意の上で購入していたものまで含めてすべて『霊感商法』であるというのは、無理ではないかと思いました。
 最後に清水与志雄牧師は、統一教会批判の本を1冊取り出し、「この中には間違いが含まれていることを知っているが、それがどこなのかは教えられない」と言って私に読むように言い、雑誌の切り抜きや裁判例の資料などと共に置いていきました。私はこの本を一通り読んでみましたが、実につまらないものでした。というのは、この本の作者は書かれている内容の裏付について殆ど触れておらず、小説と変わりがなかったからです。私はこの本を頭から信じることはできませんでした。
 また、清水与志雄牧師が置いていった雑誌の切り抜きや裁判例の資料、全国弁連通信NO.54などもすべて目を通しましたが、ほとんどは10年以上古いものばかりで、しかも、出版後に間違いを指摘され訂正が出されているものもありました。しかし、訂正の出た号は含まれていませんでした。

5.監禁下での攻防

 7月29日、月曜日、午後11時30分に清水与志雄牧師が601号室に来て、深夜の12時15分まで601号室に滞在しました。この日も清水与志雄牧師は、統一教会信者は嘘をつかなければならないと教えられている、などとありもしないことを主張し、「原理(統一原理)では、カイン(一般信者)はアベル(リーダー)の命令を聞かなくてはならない。嘘をついて復帰することを教わっている」などと言いました。私が「そんなことはない」と答えると、清水与志雄牧師は、「あなたはアベル・カインが分っていない。 嘘をつかなくてはならないかどうかは、あなたが考えないといけない」などと、訳の分からないことを言いました。旧約聖書には、アダムの長男カインが次男アベルを嫉妬心から殺害したことに関する記述があり、統一原理においては、この記述に関し、アベルはカインに対して謙虚に振る舞うべきであったし、カインは弟のアベルをどこまでも愛さなければならなかったと解釈しています。
 ところが、清水与志雄牧師はアベルをリーダー、カインを信徒として捉えた上、アベル・カインの関係を兄弟関係としてではなく、主従関係として捉えるという間違いを犯しています。しかし、教理解説書である原理講論のなかでは、このような解釈はどこにも書かれていません。
 この日清水与志雄牧師は、統一教会にて統一原理を真理であると言っていることに対して、「真理などない。真実を知るために努力すること、それが真理だ」と言い、私が統一原理を真理として信じることを否定しました。また、私が「この世界のもっとも重要な問題は何かと聞いたところ、清水与志雄牧師は、統一教会の活動を止めさせることだと答えました。また、清水与志雄牧師は、私の発言が気に入らないと、「ぶっ飛ばすぞ」と言って私を脅したり、私の襟首をつかんで強引に謝罪させたりしました。
 魂の救いについて語るのが牧師の仕事であるはずなのに、清水与志雄牧師は他宗派に対する迫害ばかり行っています。日本基督教団は、「キリスト教は日本社会では少数の信教集団であり、厳しい弾圧の対象であった。信教の自由としての基本的人権を日本の社会で確立することをもっとも求めるべき集団でもある」と語り、被差別部落問題や性同一性障害者などのマイノリティーに対して理解を求める活動をしているようですが、それと清水与志雄牧師の行動とは実に矛盾していると思いました。
 多くのカトリックが、昔の『魔女狩り』の名の下に行った宗教迫害への反省から、異端問題に対して慎重になっているのとはまったく逆でした。ちなみに、私が学んだUTSでは、様々な宗教、宗派を学びそれらを越えたところまで行くべきであるということを教えていました。
 8月5日、私は監禁されたままの生活に耐えられなくなり、両親に対して外に出して欲しいと強く言いました。すると父親が携帯電話で清水与志雄牧師に連絡し、15分くらいすると清水与志雄牧師が601号室に来ました。清水与志雄牧師は私に対して、「嘘つきを信じる事はできない」と言い、両親に対しては、「暴れる時は手足を縛ってください。私はこんな時、呼ばれても何もできません。正論を言うだけです。父さん、母さんで解決してください」と言って帰りました。
 その他、監禁中の清水与志雄牧師とのやりとりで印象に残っているものを列挙します。
あるとき、清水与志雄牧師が601号室に来た際、私は何とか監禁から解放されたいと思い、清水与志雄牧師に対して「警察を呼んでください」と言いました。すると清水与志雄牧師は、「別に警察を呼んでもいいが、何の解決にもならんぞ」と言って呼んでくれませんでした。
 私が清水与志雄牧師に、「プロテスタントの何派なんですか?」と聞いたとき、清水与志雄牧師は、「何派でも同じことだ。そんなこと関係ない」と言いました。結局、清水与志雄牧師はこちらが聞きたくない話は聞くように強要するけれども、こちらの正当な質問に対しては、答えようとはしないのでした。
 清水与志雄牧師が持参する統一教会批判の雑誌が10年以上前の古いものばかりであったことから、「朝日ジャーナルのようなものではなく、他の雑誌の資料や新しいものを見せて欲しい」と言いました。すると清水与志雄牧師は、「左とか右とかその類型的な考え方はやめなさい。事実かどうかが問題なんだ」と言いました。
 あるとき清水与志雄牧師は、「マインドコントロールされているものはすぐに類型的に考える」と言いました。「マインドコントロール理論」は米国の法廷や心理学会では否定されている理論であるにもかかわらず、清水与志雄牧師は同理論を信じているようでした。
 私は、「マインド・コントロール理論」というのは、自分の行動に対して責任が持てない人の都合の良い言い訳に過ぎないと思っています。しかしこのような理屈を、清水与志雄牧師の指導を受けている両親が信じているのだとしたら、私は何を言っても、マインド・コントロールされている人間の言葉としてしか聞いてもらえないので、このような状態で話し合いで解決することは無理だと感じました。

6.監禁からの脱出

七.脱出

 清水与志雄牧師との内容のないやりとりが永延と続き、監禁から3週間程経った8月14日頃の夜、私はやっと601号室から脱出することができました。
 私は、このまま監禁されていても解決の糸口がなく、清水与志雄牧師の話しも自分の信じていることを否定するほどの内容はなく、牧師がよりどころとしている聖書の中には多くの矛盾や問題があることを神学校で学んでいた自分にとって、これ以上聞く気にはなれませんでした。そして、偽装脱会するにしても脱会を信用してもらえるようになるまで半年から1年くらいの時間はかかり、監禁が長引という話を聞いていたため、何とか脱出できないかと考えていました。
 監禁されて最初の1週間が過ぎるころになると、1週間に一度くらい、私が昼寝をしたり、シャワーを浴びているときに、母親がマンション1階のゴミ捨て場にゴミを捨てに行っていること、しかもこのときに限って、残っている父は鍵を閉めずにいることが分かりました。そこで私は次の週に曜日を確認し、逃げるならこのときしかない、これで逃げられなければ、父から力ずくで鍵を奪うしか方法がないと考えました。
 8月14日夜、私はシャワーを浴びる振りをして浴室に入り、脱衣場で服を脱がずに服をきたままシャワー室に入り、外の様子を耳をそば立てて聞きました。すると思った通り、シャワー室に隣接している玄関が開く音がしました。それから数分待ち、頃合いを見計らって、私はシャワー室を出て、脱衣場を出ました。すると、玄関と部屋の間のドアは鍵が外れたままになっており、父はそのドアとは離れたところにいました。そこで私はこのドアを開き、一目散に玄関に行き、ドアのノブを開けようとしました。
 ところが、玄関ドアのノブの部分に木で作られた枷が掛けられており、その枷をはずさなくてはドアのノブを回すことができないようになっていました。私は急いで枷をはずし、ドアのノブを回そうとしていたところ、後ろから父がつかみかかってきました。私は何とか枷をはずし、ドアを開け外に半分身体を出すことができました。ところが、父も力一杯自分が着ているTシャツを引っ張っていたため、私は逃げることができませんでした。そこで仕方なく、私は父の方に向けて体を折り頭を下げ両腕を父に向かって伸ばしました。
 するとTシャツを脱ぐことができたので、そのまま廊下を走って逃げ、非常階段を1階に駆け下りました。このとき上半身は裸で、ズボンは短パン、そして、靴を見つける余裕はありませんでしたので、足は裸足のままでした。非常階段の反対側にあるマンションの玄関よりの道路の方に向かい、数メートル走って後ろを振り返ると、父は2階か3階あたりで私を必死に追ってきていました。私はゴミを捨てに出た母に気づかれないように走り去り、遂に逃げ切ることができました。

7.脱出後も続く恐怖や悪夢

八.脱出後のこと

 私が601号室から脱出後、両親は、清水与志雄牧師から「なんで逃がしてしまったんだ」などとかなり怒られたそうで、今は清水与志雄牧師とは連絡をとっていないと言っています。今では、両親も体が弱くなり、体力を消耗する監禁は、もうできないのではないかと思っています。それでも、やはり実家で生活するのは怖いので、私は脱出後ずっと家には帰らずにいます。
 両親に対しては、脱出後数年は、数ヶ月に1度こちらから電話を入れるくらいで、こちらの住所を知らせることは怖くてできませんでしたが、今では数週間に一度電話したり、2ヶ月に一度くらいは外で会って食事をしたりしています。
 清水与志雄牧師は、よく、「統一教会にいれば犯罪を犯すようになる、や、統一教会を5年以内に潰す」などと言っていましたが、5年経った現在、私は以前と同様に信仰を持ち続けながらも、犯罪に携わったことは一度もありません。
 監禁から脱出して5年くらい経ったので、このように冷静に記すことができますが、脱出後1、2年は、監禁のことを思い出すのが嫌でたまらず、また、外出するときには、拉致されるのではないかといつも後ろを気にしながら生活していました。私はホラー映画などを見ても夢に見るようなタイプではありませんが、監禁後は、誰かに捕まえられるような悪夢を見て、冷や汗をかきながら起きたことが何度かありました。5年経った今でも、たまにこのような悪夢を見ることがあります。
 私は現在、国際合同祝福結婚式を通して文鮮明師に紹介して頂いた妻と幸福に暮らしていますが、妻は、韓国で統一教会の信仰を30年来持ち続けた両親に育てられ、実に強い倫理観、道徳観を持ち、愛情にあふれた女性です。私にとってこれほどの妻と出会うことは、統一教会の国際合同祝福結婚式以外の方法では不可能であったと思います。
 私は生後6ヶ月からの喘息で、病気を持ち苦しみながら生きていくことに対して疑問に思っていましたが、統一教会の信仰を持ってからは持病の喘息もよくなりました。私は、統一教会を通して生きることの価値を教えられ、従来のキリスト教の聖書解釈では解決できない人生についての様々な疑問に答えを与えてくれた統一教会に本当に感謝しています。

九.終わりに

 信仰を持たない者が信仰を持つ者を理解することは難しいことだと思いますが、アメリカを始め全世界の多くの国々では信仰の上に善を求めて生きていくことは当然のこととされており、信仰の違いの故に監禁されて脱会を迫られるなどということは、まったくあってはならないことだと思います。
 両親のような素人が、計画的に、すべての窓、ドアに通常以上の鍵をかけ、部屋全体を監禁用にリフォームすることなど不可能だと思います。こうした事実からも、清水与志雄牧師の指示により監禁が行われていることは明らかです。
 私は、このようなあからさまな人権侵害が、何年間も批判されることなく続いていることに強い憤りを覚えます。このようなことを2度と繰り返すことができないよう、清水与志雄牧師等に対して厳しい判決を望むものです。

以上

  • 我らの不快な隣人

    ルポライター米本和広氏が、拉致監禁によって引き起こされたPTSD被害の実態をレポート。

    ►第6章 掲載
  • 人さらいからの脱出

    世にも恐ろしい「人さらい事件」に関わった弁護士、牧師、マスコミ人らの非道な実態を実名で白日のもとにさらす。

    ►書籍紹介
  • 日本収容所列島

    いまなお続く統一教会信者への拉致監禁。小冊子やパンフレット、HP等で告知してきた内容をまとめました。

    ►書籍紹介

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