統一教会の信者に対する、拉致監禁・強制改宗について、その根絶を求めます。続・拉致監禁 侵された信教の自由。監禁下の熾烈な攻防 解放時は、栄養失調状態
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新聞・メディア情報


韓国ニュース報道

セゲイルボ:「宗教人の拉致」目をつむる日本(2)

12年5ヶ月間監禁された後藤氏の証言

統一教会への入会理由で家族が密室に閉じ込めて、
教理批判を反復・信仰放棄の強要を受ける
何度も断食闘争、脱出試みるも無駄
苦難を体験し、解放された時は栄養失調状態


後藤徹が強制改宗・拉致監禁から解放された直後の姿

「日本がしっかりした自由民主国家ならば、私のような被害者がこれ以上でてきてはいけません。独善と偏見にとらわれ、他人の宗教を認めないで拉致してまで強制的に改宗させるという野蛮的な犯罪には断固として鉄槌を下さなければなりません。

23日、日本の東京渋谷で会った後藤徹(46)は拉致・監禁から解放されて2年が過ぎていたが、いまだ当時のぞっとする体験を忘れずにいる。

後藤は強制改宗の拉致被害者の中でも最も長い12年5ヶ月の間、拉致・監禁の被害にあった。彼は大学を卒業して職場生活をはじめた1987年、一度目の拉致を経験した。世界基督教統一神霊協会(統一教会)に入会した後藤を不快に思った両親と兄弟によってであった。だが、当時は1ヶ月後に脱出して大きな傷を負うことはなかった。

だが、1995年9月11日、二度目の拉致は今考えただけでも身震いがするという。

「家を出て独立して生活をしていましたが、家族らが食事を共にしようと呼んだのです。一度拉致された経験はありましたが、かなり以前の事のことなので、まさかそのような事になるかと思い、実家を訪ねました。食事をしばらくしたのですが、父と兄が突然駆け寄ってきて両脇を掴み、外に連れ出されました」


後藤徹が23日東京渋谷で拉致当時の生々しい生活を説明している

後藤はそのまま車に乗せられ、新潟市にあるマンションに連れて行かれた。そこは、玄関のドアと窓に特殊な南京錠が掛けられた密室だった。強制改宗の専門家を自認するキリスト教系の牧師が次の日から毎日訪ねて来て、教理批判を繰り返しながら信仰の放棄を強要した。家族らは1~2週に一度来て顔色を見回していく程度でした。拉致・監禁の2年目に父が癌で亡くなった。体格のいい男達によって、実家に引きずられて行き、家族らに囲まれて父の遺体に一度対面した後、すぐに荻窪の駅付近の違うマンションに連れて行かれ監禁された。毎日牧師が5~6名の信者を連れて来て「統一教会の信仰を棄てるまでは一歩も出ることはできない」と脅迫した。

後藤はその時ごとに、「拉致・監禁は重大な人権侵害だ。ここは対話や検証をする場所ではない。あなた達は保護するという名目の下、強制的に信仰を奪おうとしている。ここは自由民主主義社会だ」と反論した。

後藤の頑強な拒否に改宗作業は平行線を走った。彼は監禁期間に3回にわたり断食闘争を行い脱出も何度も試みたがいつも失敗に終わった。彼がずっと持ちこたえるので、一日に重湯若干とスポーツ飲料1リットルだけを与えて信仰の放棄を迫った。

極度の状況でも最後まで意を曲げないので、家族らはついに2008年2月10日、拉致当時の靴を出しマンションの外に彼を追いやった。12年を越す長い監禁から解放された瞬間だった。

拉致監禁の後遺症は想像を絶した。拉致された当時、身長182センチのがっしりした青年であった後藤は、解放直後体重が39キロで骨のみが残る栄養失調状態だった。一人で歩くのも難しい状況だった。今は健康を回復し、「全国 拉致監禁・強制改宗被害者の会」の代表を務め日本全国や韓国、米国などをまわって強制改宗・拉致監禁の根絶のために活動している。彼は「このような事は特定の宗教間の葛藤問題である前に、基本的人権の問題である」とし、「日本社会が正しい人権社会になるためには、必ず解決して越さなければならない問題だ」と強調した。

東京:キム・ドンジン特派員 bluewins@segye.com

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